体罰がなくならない要因の考察
この記事は、2020年9月にnoteに書いた記事を転記したものです。
元バレーボール選手の益子直美さんと大山加奈さんが、バレーボールを含めたスポーツ界の提言をされている対談形式の記事を見て感じたことを書いています。
スポーツ界から体罰を無くしたいという志を持った人は、各競技の世界にいると思います。
競技の枠を超えて参考になる情報が伝わっていけばと思いこの記事を書きました。
対談記事はこちら
バレーボール大山加奈が苦しむ”後遺症”の過酷
益子直美さんと考える 「バレー界を変える方法」
変わることができる人、変われない人
スポーツなら体罰、企業ならパワハラ、家庭なら虐待などが問題として取り上げられる時代になっていますが、少し時代を遡ると指導や教育の中で暴言や暴力が行われることが疑問視されていなかったと思います。
もちろん時代を遡っても暴言や暴力が許されないラインというものは合ったと思いますが、現在のようにはっきりと不適切だと明言されていなかったと思います。
時代の変化とともに暴言や暴力が人の健康や成長にどのような問題を生むかということが明らかになってきたこと、暴言や暴力によって起こった悲しい出来事が、現在の暴言や暴力に対する評価につながっていると思います。
このような時代の流れを感じ取り、昔は指導や教育の中で、暴言や暴力も行使していたという人でも、時代の変化に合わせて認識を改め、新しい指導、教育を実行している人もいます。
しかし、未だに昔と同じやり方を変えることができない人がいるのも事実です。
私が実際に目にした指導や教育の現場やスポーツや仕事の相談、子育ての相談の中で聴く話からも、より良い指導、教育の方法を追及している方もいれば、暴言と暴力を止められない人がいるということが良く分かります。
変われない人の共通点
指導や教育の中で暴言、暴力を止めることができない人は、自分の不満を解消したり欲求を満たすことのために暴言や暴力を用いている傾向を感じます。
そして、暴言や暴力は、相手をコントロールするのに効果的であるため、その効果に依存しています。
さらに自分は暴言や暴力によって成長できたという思いが、暴言や暴力が不適切など言う事実を受け入れることを拒んでいます。
変わることができる人の共通点
過去には暴言や暴力を用いて指導や教育を行っていたけど、時代の変化に合わせてより良い指導方法、教育方法を追及している人は、指導や教育のために自分自身が学ぶ姿勢を持っていると感じます。
かつては暴言や暴力を用いていても、それらが以下に不適切な行為かという情報を得た時に、その内容をしっかりと受け止めて自分の中に取り入れるという柔軟さを持っている人が、自分を変えることができているように思います。
即効性という麻薬
指導や教育の中で暴言や暴力を止めることができない人がいるのは、暴言や暴には自分の言い分を相手に受け入れさせるのに時間が掛からないというメリットがあるからです。
相手を思うようにコントロールするのに即効性があり、その即効性を手放すことができない人が、時代とともに暴言や暴力に対する認識が変わっているのに関わらず自分を変えることができていないように感じます。
この即効性は麻薬のようなもので、この効果を何度も何度も体験している人は自分の指導や教育の方法を容易に変えることが難しいのです。
まとめ ~確実に変化は起きている~
暴言や暴力が指導や教育を行う上で不適切だと言われても変わることができない人もいる中で、スポーツ、企業、家庭、学校などで変化が起きているのも事実です。
一気に変わることは難しいですが、それぞれの現場で指導や教育を受けた人が、自分が指導や教育を行う立場になった時には、今よりもっと良くなっているのではないかと思います。
益子さんや大山さんのように、バレー以外の競技でも昔の指導に疑問を感じてより良い指導が行われるように提言をしている人もいます。
より良い環境が広まってほしいと提言をする人がいて、実際の指導や教育現場の変化が生まれ、それらの相乗効果でさまざまな指導や教育の方法が見直されて欲しいと思いますし、私自身も仕事でも剣道をする中でもそのために尽力していきたいと思います。