奈良仏師 折上稔史さん|仏像彫刻師

折上稔史さん|剣道

アスリートインタビューの第4回目は、大学まで剣道を続けて、卒業後は仏師として活動している折上稔史さんに話を聴かせて頂きました。

折上さんは、多くの大学生が選択する一般企業や公務員ではなく、仏師の先生に弟子入りをして師弟関係の中で腕を磨くという道を選択しました。
約20年ほど前でも現在でも剣道をしている大学生は、教員、警察官、刑務官などの剣道が続けやすい環境への就職を希望する人、剣道部を持っている企業への就職を希望する人などが多いで折上さんの選択は異色だったと言えるでしょう。
インタビューでは、どのような経緯で仏師という職業を選択したのか、どのようにして仏師として生計を立てることができるまでになったのかなどを話して頂きました。

折上さんは、筆者の大学時代の剣道部の後輩であり、筆者が大学に編入をしてから2年間はチームメイトとして一緒に試合に出ていたという関係で、試合の中では頼もしい後輩だったという印象が残っています。

プロフィール

折上稔史(おりかみ としふみ)
1979年生まれ 43歳
奈良県在住
出身 徳島県那賀郡木頭村(現 那賀町)

奈良仏師 折上稔史

競技歴と主な戦歴

私は、小学1年生から大学を卒業するまで剣道を続けました。
高校は富岡東という女子が全国大会の常連で、男子は県内のベスト4くらいの実力の学校に入学しました。
大学は、日本文化に興味があったので奈良の帝塚山大学の教養学部日本文化コース(現 文学部日本文化学科)に入り、大学でも剣道も続けることにしました。

大学の剣道部は、推薦で入部してくる部員がいるチームではなかったのですが、入学時には全国大会出場や各都道府県でベスト4~ベスト8に入るくらいの学校出身の部員が集まっていました。
その中でも試合には1年生から使ってもらって全国大会出場も目指しましたが、大学ではその目標を達成することはできず、卒業後は続けていません。

【中学校時】
徳島県中学校総体 団体戦3位

【高校時】
徳島県高校総体 団体戦3位

仏師としての経歴

南都仏師・矢野公祥師に師事。

主な作品、修理歴

春日大社第六十次式年造替において師 矢野公祥氏と共に約300年ぶりとなる本殿及び若宮の獅子・狛犬像十体の新調に携わる。

「八幡円福寺達磨大師(重文)御前立像」、「八幡円福寺十一面観世音菩薩像 修復」、「岡寺 弘法大師像 新調修復」、「山添不動院不動明王厨子修理」、「山添不動院不動明王像修理」、「薬師寺休ケ岡八幡宮平安太刀復刻」

折上さんは、剣道を続ける中でなぜ仏師という道を志すようになったのですか?

もともと剣道ができる環境への就職を考えて大学に入ったわけではなく、日本文化に興味があって奈良の大学を選んだという経緯があり、大学の授業の中で仏像彫刻に興味を持つようになりました。
3回生の頃には南都仏師 矢野公祥先生のところで仏像彫刻を学び始め、卒業する前には一般的な就職はせずに先生に弟子入りをして腕を磨いていくことを決めていました。

仏師としての修業時代はどのようにして生活をしていたのですか?

弟子入りした時には、仏師として収入を得るような腕はないので、先生の家の離れのようなところに住ませて頂き、工房の中のできる範囲のお手伝いをしてお駄賃を頂き、足りない分はコンビニで夜勤のバイトをして生活をしていました。
当時、大学を卒業した若者が体験するような生活とは縁遠い日常を送っていました。
先生の自宅には4年ほど住ませて頂き、先生の自宅を出てからは日当で働く派遣の仕事をしたり、その後は手先の器用さを見込まれて鉄工所で雇ってもらうなどして、アルバイト代を得ながら仏師としての修業をするという日々でした。

仏師の仕事道具

仏師として自分の腕で収入が得られるようになったのはいつごろですか?

28歳の時に結婚をしたのですが、そのあたりから先生に仏像彫刻の教室をいつくか任せて頂くようになったり、工房に入ってくる仕事も少しずつ出来るようになっていたので、大学の新卒より少し少ないくらいの給料は頂けるようになりました。

教室での指導と工房の仕事の経験を重ねる中で、先生から成果報酬で支払いをして頂けるようになり、少しずつ仏師としての収入だけで生活していけるようになりました。
この頃でも大学時代の友人などと会って飲みに行くなど、同世代の人と交流ができるだけの収入も時間もなかったのですが、仕事を通じて和菓子職人、宮大工、漆職人など一流の職人の方と交流させて頂く機会が増え、職人としての様々なことを学ばせて頂いた時期でもあります。

仏師として活動を始めて20年ほど経っているようですが、現在はどのような活動をされていますか?

28歳の時に学生時代からお付き合いをしていた女性と結婚をして、現在は奈良の平群町にある自宅兼工房で仕事をしています。
主な仕事の内容は、寺院や神社から依頼される彫刻や修復、個人宅の仏壇に納める仏像制作、仏像彫刻教室での指導などです。
教室は、上本町と橿原の近鉄文化サロンと自宅工房の3か所で行っています。

仏像以外の彫刻の仕事は、お寺や料理屋の看板の制作、和菓子の型作りなどの依頼も受けています。
また、修学旅行生向けのツアーガイド、母校帝塚山大学でのゲスト講師など、学生に話をさせて頂く仕事をする機会も頂くようにもなっています。

達磨円福寺御前立(おまえだち)達磨大師像
干支の彫刻干支の彫刻 卯

 

彫刻師として活動していく上でどのようなビジョンを持っておられますか?

彫刻の仕事をする上で大切にしていることは、お客様の思いをしっかりと理解して依頼されたものを彫るということです。
自己表現をするアーティストではなく、仏像彫刻の歴史の中で受け継がれてきた技術によって彫刻をする職人でありたいと考えています。

彫刻の依頼は、今も六尺(約180cm)の仁王像の制作など、やりがいのある仕事を頂いていますが、一つ一つの依頼を丁寧に行っていくことを継続することが大切だと考えています。
今は彫刻師としての収入で生活できているので、この仕事で2人の子供を大学まで出してあげられるように頑張っていきたいと思っています。

また、教室での指導も長年続けてきた中でやりがいを感じていているので、教室に訪れる人のニーズに合わせた指導をしていきたいと考えています。
今年からSNSでの情報発信も力を入れるようになりましたが、このような活動も通じて普段は目にすることのない仏像彫刻について多くの人に興味を持って頂ければと思っています。

六尺の仁王像

折上稔史さんのホームページ、SNS
奈良仏師 折上稔史のホームページ
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仏像彫刻講座 教室のご案内

工房教室
・第1・第3火曜日 9時〜12時 13時〜16時
・第2・第4水曜日 13時~17時

工房教室に関するお問い合わせ先
mail:tosi_ori@msn.com
TEL :090-5641-1249

近鉄文化サロン上本町
お申し込みはこちらから

近鉄文化サロン橿原
お申し込みはこちらから

インタビューの感想

折上さんの話から感じたことは、剣道における修行と職人の修行の共通点は守破離であるということです。
守破離とは、1つの道を究めていく過程で、最初は師の教えを忠実に守り自分の基礎となる技術や思考を確立していく『守』という段階、師から学んだ教えに自分の感性でアレンジを加えていく『破』という段階、そして師の教えを離れて自分の技術、世界観を確立してく『離』という段階があることを表している言葉です。

折上さんの話からは、守破離の姿勢で仏像彫刻と向き合っておられるということが感じられます。
自分の実力を俯瞰して見つめ、物事を自分のペースで一歩ずつ確実に進めていく様子は大学時代から変わらないご本人の良さです。
仏像の彫刻師というのは特殊なキャリアではありますが、折上さんの仏像彫刻に向き合う姿勢は別のキャリアを構築するためにも参考になる内容だと思います。

インタビュアー 衣川竜也

私もインタビューを受けて記事を掲載して欲しいというアスリート、元アスリートはご一報下さい。
あなたのデュアルキャリア、セカンドキャリアに関する記事を掲載させて頂きます。

インタビューの対象者、条件など

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